2017年12月27日水曜日

コース分けは必要なのか

私学はほとんどがコース分けをしています。
進学特化型、職業訓練型、スポーツ重視型などなど。
そして、進学特化型には、希望する大学(旧帝大、難関私学など)によって
細分化されているケースが多くなりました。

すなわちこれは、
●コース分けされている状態が当たり前。
●コース分けされていないと、生徒募集において訴求力が十分でない。
という感じでしょうか。

社会のニーズにそった常識的な判断なのだと考えられます。

でも、コース分けをしないで、生徒募集も進学実績も他校よりも群を抜いて、良い結果を出してきた学校もあります。

そして、習熟度に分けて授業をすることで学力が格段に伸びるということも実際それほどないということも言われます。

反対に、コース分けをしないことでのメリットもあるように感じます。

よく言われることですが、いろいろな価値観、境遇、学力をもった生徒と幅広く付き合うことでの得られる経験などです。

新しい学力観が言われています。その中の1つに『多様性』があります。
複眼的な価値観や思考ができる人が今求められている、と。
今後はこのような人を積極的に育成していく必要がある、と。

それなのに、現実はコース分けに頼ってしまっています。
コース分けをなくすという考えの学校は皆無です。
むしろ新しいコースをつくるという学校はあります。

コースに「国公立コース」と書いてあれば、国公立に進学したい人はそれになびいてしまうという部分は実際は大きいです。

でも、今このような時代からこそ、『本当に大事なこと』こそ求めるべきで、それを学校が人々を啓蒙するという決意が今不足しているのかもしれません。

●時代を見極める力、
●保証のない真理に飛び込む勇気、
が今試されているのかもしれせん。

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