2018年1月6日土曜日

気持ちが伝わってこその行動

明けましておめでとうございます。
新しい年を無事に迎えられたこと改めて感謝申しあげます。
本年も皆様を少しでも支えられるよう努力してまいりたいと思いますので、どうぞお力添えをよろしくお願い申し上げます。

さて、
今、授業アンケートの集計をする時期なのですが、
その1つの仕事で「生徒の授業への要望として自由記述した内容をまとめる」ということをやっています。
ここで案外よく出てくるのは、「遅刻してないのに、遅刻をつけるなんて理不尽」「うるさくしていないのに、注意されるなんて理不尽」「わかりましたと言っているのに、その後に何度も同じ指導をされる。」のような内容が結構あります。

ここから私は、対人感受性を意識することの優先順位がかなり下がってしまっているように思います。
対人感受性というのは、「自分が発した言葉を受けて相手が今どのような気持ちでいるかを感じ取る性質」をいいます。
これは個人差が大きいものです。

教員になろうとする人は本来この性質が高くあることが求められますが、この生徒の先生に対する自由記述の内容を整理していると、案外この対人感受性がそれほどまでは高くない教員がおられるのだなあと感じます。そして、そのような先生は苦労されているのが見て取れます。

教員はこのことはしつけの一環だから当然であると思って指導されておられるけれども、受け取る生徒はそのようには受け止めていないという実態です。

今後アクティブラーニングが必要とされ、生徒グループや個人をファシリテートすることが求められてくる中で、この対人感受性は最初に必要な性質であろうと思われます。

対人感受性が高くない教員がこれを高めるのは難しいと思われるかもしれませんが、私はそうではないと思っています。
といいますのは、高めようと思うから難しく感じるのであって、授業や指導しているときに自分の世界で突き進むのではなく、相手や集団のことを見ようと意識するだけでいいのです。この意識が継続すれば効果があると思います。もし見ようとしても相手の様子を把握できなければ「大丈夫かな?」と問いかければわかります。

「自分の対人感受性は十分なのか?」

このように、教員なら誰もが意識すると良いと思われますが、いかがでしょうか。

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